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乱文独断時事批評
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4人の死刑を執行と法務省が発表 05年9月以来の執行 朝日新聞2006年12月25日13時22分

>就任3カ月足らずの長勢法相が執行命令書に署名した背景には、執行されていない死刑確定囚が100人近くに上る現状で、「今年の執行数をゼロにすることは絶対に避けたい」という法務官僚の強い意志があった。

>裁判所が死刑判決を「量産」し、死刑確定者は06年は20人を超えた。一方、実際に死刑囚の命を奪うことになる命令書の署名には消極的な法相も多く、その結果、03年までは50人台で推移してきた未執行者は25日現在で98人に。法務省幹部は「100人を超えれば死刑制度の根幹が疑われることになる」と危機感を持っていた。

僕は自分と違う考えの人間の意見を聞くことは大切であると思うが、この表現は受け入れられない。
死刑執行がされない期間が長引けば、死刑という制度が否定されるのか。
逆に「量産」すれば肯定されるのか。
ひとりひとりの死刑因を見ていない。制度を見ている。死刑因・・・正しくは、大きな罪を背負う人間がいるから死刑制度がある。
肯定するのでも否定するのでも人間を見なければいけない。

4人死刑執行:日弁連、アムネスティ日本などが抗議 毎日新聞 2006年12月25日 13時35分

>「昨年9月から執行が行われていなかったことを帳消しにする行為で、およそ許されない」との抗議声明を発表した。
>「事前の要請にもかかわらず死刑が執行されたことは誠に遺憾」との平山正剛会長の声明を発表。
>「アムネスティ・インターナショナル日本」(東京都千代田区)も「いかなる状況でも死刑に反対する」と抗議した。

偽善という文字が頭の中を支配した。
事前の要請?これに何の意味があるというのか。
この要請の前から法律で死刑は肯定されているし行使もされてきた。
「いいえ、人間には人権がその前から自然権として存在する」という批判があるだろう。
自然権とは人間性に反する。まるで神が作った人間には触れることができないもののように言う。
しかし、平然と人間が人権を語る。語ることができる人間は人間の姿をした神か?
人権であるから、人間が語ることができるのは当然であり、肯定も否定もできる。
これが認められないのであれば、人権を肯定する人間のみを人間とする選民思想に他ならず、人権の平等性に反する。
神格化し妄信することのみが人権を語ることなのであれば、人間を神にしなければならない。
この妄信している無意識に自覚の光を当てることができないのであれば、人間は自覚できる動物であるので、単に人間として愚かなだけである。

「生まれながらにしてすべての人間にある人権」と「人間である以上永久に保障される人権」は同義ではない。
人間として人権を背負い生まれてきたわれわれは自らの努力で人間として生き、人権を保守し続ける義務がある。
人間が他人の権利を侵害し人権を剥奪する現実が、絶対的な永久不変でない、神のものでないことを証明している。
しかし、本来ならば永久不変である。これは他人により剥奪されなければである。
死刑制度否定派がいったいいくつの人権を保護してきたのだろうか。
否定派のせいで人権侵害が行われたのではない、罪は罪人のみにある。
人権を唱えるのであれば、死刑制度という人権侵害の結果としての人権を考えるのではなく、この結果が生まれることになる人権侵害を否定しなければならない。
人間に罪を犯させない努力。
死刑が罪であるから死刑だけでも否定するのであれば、人権侵害を考えて、人権を否定していることとなる。
人権を実定法として取り決めた国は国民を守りきれず間接的ながらも人権を侵害した。
この反省から、人権侵害が行われた現実のなかで大きな罪を犯した罪人に大きな罰を与えることくらいしかできないのである。
つまり死刑は最良のものではない。
人間は人権をすべて保障することができない愚かな生き物のなのであるが、人権を産み育て保障しようとする理性がある唯一の動物である限り、これを守ろうとすることは義務である。
人権侵害の罪により罰を与えるのであるから、死刑因はすでに自らの意思で人権を放棄しているのだ。
人権は平等であるのだから、被害者の人権を侵害することは同時にすべての人間を対象に否定している、つまり自らもその中に含まれる。
これを否定するのであれば、加害者は加害者ではないばかりか、人権の外にある神と認識されたものとなる。
国が死刑を執行するのは、われわれすべての人間の代行である。われわれ人間から天空に向かい逸脱した国が勝手に取り決め行使しているのではない。
つまり国が人権を剥奪しているのではない。
死刑が人権を侵害するものではないが、保障することそのものでも、それにつながるものでもない。
結果としての死刑否定よりも、結果を生まないための義務論としての人権教育が必要となる。

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